過去も今も未来も理想も

好きな人を好きなだけ応援したい。自分のペースで。

「担当」という言葉

どうもこんにちは。にかまんじゅうです。新学期も始まりつつあり、生活リズムが整ってきた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?最近私生活が忙しすぎてこのブログを開くこともしていませんでした。


久しぶりに時間ができ、ぐだぐだとお話してみようかなーと思い始めたので書きます。



今回は、「担当」という言葉についてお話します。



ジャニヲタには、「担当」という存在が必要不可欠です。詳しく言うと、○○担と自分を名乗ることで、自身がジャニヲタである、という表明になるのだと思うのです。


巷では、神担、副担、等という言葉により、担当を増やす傾向が見受けられますが、私にかまんじゅうはそういった表現は受け入れ難く、二階堂坦一筋でやっております。


今回は、超個人的に「担当」という言葉について考えていきたいと思います。

※超個人的ですのであしからず!!


担当の定義とはなんぞや?

辞書をひいてみると、

一定の事柄を受け持つこと  by小学館

受け持ってそのことに当たること。
引き受けること。      by大辞林 三版


おおお 参考文献を上げるあたり大学のレポートを思い出し頭が痛くなります(笑)

と、とにかく、辞書的意味としては「その事柄をうけもつこと」つまり私の場合は二階堂坦なので「二階堂さんをうけもつ(=応援する)こと」とでも言うのでしょうか。


でもぶっちゃけジャニヲタでいう担当って…

「その人に貢げるか、その人の為に何かしようと他のことを犠牲にできるか」

だと思うのです。


(語弊がないようフォローしますが、決してお金がない、犠牲にできない、じゃあ私は担当と名乗る資格がないのね、だなんて言ってませんよ!!もちろん一番大事なのはその人を好きだ、応援したい、という気持ちですけど、でもじゃあクラスの子が「玉森くんかっこいー!♡すきー!♡」と言ったからじゃあその子が玉森担かと言ったらそうではないですよね?そういうことです。)

こんなフォローをしていたらきりがないのでもうしません。ただ担当がなんだかんだと騒いでる奴が居るなあと大目に見てください。 


えー、話を戻しまして。数ある趣味の中でジャニーズにお金を使おう!この人を応援しよう!と思ったらきっと担当なんです!(あれ?なんか言い方柔らかくなってる?ww)


もうひとつ、私的担当とそうでないただのファン(お茶の間)の区別のようなものを、自身の経験からお話させてください。偏見です。偏見です。偏見です。←



にかまんじゅうの例


にかまんじゅうは昔、掛け持ちをしていた時期がありました。つまり二階堂坦と深澤坦、両方を名乗っていました。しかし深澤坦をおりました。


担降り(の定義はまたの機会に。)をする人の中にはわかってくださる方もいると思いますが、降りたからと言って嫌いになったわけではありません。むしろ好きです。しかし私は気づきました。「お金をかけたい」訳ではなく、「ただ遠くで見守っていたい」というなんともわがままなものでした。

具体的な例をあげますと、(何度も言いますが偏見です。超個人的な感情です。)


深澤坦を名乗っていたとき、カウコンでちらっと映れば「やった!映った!」約束魂でも踊っているのを見て「やった!いる!」、少クラでも歌割りがあると「やったね!おめでとう!」と、一言目はいつも「やった!」でした。

親目線、というと大げさですが、そこにいるということに嬉しさを覚えました。しかしこの感覚はなにか違うんではないか…。と思い始めたのです。

そして極めつけはクリエやガムシャラの相場の壁。(基本的に積まない主義なのでこれはかなり辛かったです。)そして降りることを決意しました。

しかし、こんなことを言ったら怒られるかもしれませんが、降りてからかなり楽になりました。フラットな気持ちでふっかを見ることができるようになりました。

「ふっかに会えなくても、テレビやDVDで見られたらそれだけでうれしい。」
それが素直な気持ちです。

おやおや、担降りブログになりそうだ。話を戻しましょう。

結論として、会いたいがためにその人にお金をかけること、(チケット代だけではありません。参戦服や化粧、ヘアメイク代等、かかっている費用は一般の方が思っている以上でしょう。)それが担当と名乗るジャニヲタ達の使命なのではないのでしょうか。



あーーー
最初はうまく
ってたのになあ…。
下書きなしの思ったことをただただ打っているだけなので全くまとまりません(泣)



懲りずに次回予告~

次回は私が思う「アイドル」について
理想のアイドル像やファンとの距離を
考えていこうと思います。

それでは。