私がジャニヲタになった理由番外編~掛け持ちから二階堂担になるまで~
いや~昨日のPONは完全に放送事故でしたね~。メンバーたちが事故に巻き込まれなくて本当に良かったです。でも心身共にダメージすごいだろうな。3局またぎお疲れ様でした。今日はフラゲ日!バイトで受け取りは明日になりそうですが…。(泣)
てことで本題へ~
前回で一応私の超個人的年表は終止符を打ったのですが、まあ読み返してみると本当に自分は読む専門なのだなあと実感しました。文才がなさすぎる。あぁ恥ずかしい。
今回は語りきれなかった二階堂担一本で行こうと思った理由を記せたらなとおもいます。
①’金銭面
掛け持ちできなくなった一番の理由はこれです。深澤坦と名乗ってしばらくすると、ジュニア担の大変さに気付きました。これはジュニアだけに当てはまることではないんでしょうけど、私の状況はデビュー組✕ジュニアだったので。
ふっかはジュニアの中でも歴は長いしグループにも所属していますが、テレビ露出はほとんどゼロ。一人暮らしの家だと衛星放送は映らないので数少ないテレビ出演である少クラは見られない。
現場といえば当時はクリエやガムシャラにデビュー組のツアーバック、舞台、、、
今パッと思いつくのはこれだけですが、生で彼を見ようとするとかなりのお金がかかります。(私の周りだけだったのかもしれませんが積むのが当たり前のような風習もありました)
もちろん単独で応援するぶんには十分やっていけるでしょうが、デビューし今売り出し中のキスマイと同時に追いかけることは、不器用な私にとってかなりキツイことでした。
②’動くふっかが見られなくなった
担当になった直後は、BBJという「深澤辰哉」がはっきり形として存在することを「映像で」証明してくれるものがありました。(少しおおげさですが。)
しかしBBJから離れたとき、私が彼を見たいと思うと、その手段は平面の雑誌でしかとることができませんでした。
ふっかを気になりだしたのは確かにBBJでしたが、担当になりたい、応援したい、と思ったのは少クラやバックについていた時の「動く」「パフォーマンスをする」ふっかでした。
だからといって他Gのバックにつくからとコンサートへ足を運ぼうと思う気にもなれず…。
まあ大きな理由はこの2つです。(他にもすの担が周りにいなかったとか情報局がいつまでたっても改装中だったとか細かい理由は多々ありますが。)冷めたわけではないので普通に沸いたりもします←面倒
少クラが見れない状況にあり、現場も積んでまで行くほどなのか、二階堂さんやキスマイの比重を少し軽くしてまでこちらにかけようと思えるのか。
そう考えた時、出てきた私の答えはNoでした。
クリエで記録を作ったこと、ガムシャラにいわふかが選抜されて素晴らしいパフォーマンスをしたこと、全て嬉しかったし見に行きたいとも思いました。しかしその前に立つのはKis-My-Ft2、二階堂高嗣でした。私にとっての二階堂さんがどんどん大きくなっていくのです。ここで二階堂さんに冷め始めていたら、もしかしたら深澤担一本になっていたかもしれませんが。
そして私は、担降り儀式としてTwitterで今の気持ちを長々と語り、アカウントを新しくして心機一転二階堂坦として生きることを決めたのです。
降りることを受け入れてくれたお友達たちには本当に感謝です。
さて、特に面白いこともなくだらだらと書いておりましたがこれで私のジャニヲタ年表は全て終了です。
これでやっと書きたいことが書ける!!!!
お付き合いいただきありがとうございました。