私がジャニヲタになった理由 ~ジャニーズとの出会いからお茶の間になるまで~
まず初めに
私は今現在Kis-My-Ft2の二階堂担です。
二階堂担だとしっかり名乗ってからはまだ1年ほどしか経っておりません。
二階堂担に落ち着くまで紆余曲折ございました。DDでもありました。
まずは第一弾として出会いからお茶の間になるまでを、記憶の新しいうちに記録しておきます。
自分の性格を一言で表すと
『コレクター気質』
『熱し易く冷めにくい』
とまあ好きになったものに一直線なのである。そして都合が悪いことに一旦好きになると他に目移りしても上書きされずどんどん追加されるのだ。
今まで好きになったものと言えば
アニメ、お笑い、野球、某女性アイドルグループ、、、
現在進行形で好きなものばかりだ。
好きなものにお金を使っているときはとても気持ちが良い。私と同じ年代の人なら服や化粧品、健康志向の物などにお金を費やす人が多いのだろうか。
しかし私はというと毎月のドル誌、頻繁に出されるCD、コンサート、、と恐ろしい程の大金をKis-My-Ft2だけではなく、たくさんのジャーニーズアイドルに費やしている。
加えて今でも、昔から好きだったお笑いや野球に惜しまずお金を出している。(アニメと某女性アイドルグループからは卒業できた)
私は仕事をしていてもおかしくない歳だが、幸運なことに学生をやれている。アルバイトはしているものの、恥ずかしながらまだまだ親に頼らなければ生きていけない状況なのである。
そんな私が親から送られてくる生活費を削り、睡眠時間や勉強時間をバイトの時間に変えてまでキスマイのお財布になっているなんて、昔の私が聞いたら全力で止めるだろう。
だってジャニーズが嫌いだったんだから。
幼い頃から私はひねくれており、なぜそこまでかっこ良くない人たちが、それほど心に響かない歌を歌い、演技をかじり、キャーキャー言われているのか意味がわからなかった。
俳優や歌手を冒涜しているのか!
とまで思った。
もし昔に戻れるなら、「お前、何も知らないのによくそんなこと思えたな」と言ってやりたい。
まあ何を思うかは個人の自由だということで大目に見ていただきたい。
もちろん今は全ジャニーズアイドルを尊敬している。
さて、冒頭でお金を連呼したりジャニーズが嫌いだと暴露したり、頭の悪さと文章の拙さが露呈している訳だが、この辺で本題に戻ろうと思う。
私がジャニヲタになった理由
を書き留めておきたいと思ったのは、先程も少し言ったがジャニーズが嫌いだった私がなぜジャニヲタという複雑な世界にいきなり飛び込もうと思ったのか、きっかけは何なのか、私自身でも整理し残しておきたかったのが大きな理由だ。
①ジャニーズとの出会い
これは私の家庭事情も少し話しておかなければならないのだが、しばしお付き合いいただきたい。
私の家は教員一家で、厳格な父と3歩下がってついていく母、少し気の強い姉と唯一のサラリーマンである兄、そしてかなり離れて私がいる。
幼い頃から親の口癖は「早く寝なさい」であった。ドラマなんて見せません。下品なテレビは見てはいけません。物心ついた時から言われ続けていたので幼少期に見たテレビといえば音楽番組ぐらいであった。
あ、あと母が好きだったバレー中継。あのお陰でNEWSのメンバーはみんな知っていた。(嵐以前は残念だが記憶にない。)
そんな私でも唯一ビデオテープ(久しぶりに言った)に残しておいてあるのが当時日曜昼にやっていた『ハロモニ』、『Ya-Ya-yah』だった。
厳しい父親が許可した数少ないバラエティーだ。
今の私を見たら父親はこの2つを見せたことを後悔するだろう。ごめんなさい、お父さん。
(家族は私がジャニヲタであること、ジャニヲタがどういう生き物であるかは知らない。恐ろしくて言えない。)
話を戻そう。
『ハロモニ』に関しては本題に関係ないので割愛させていただく。
『Ya-Ya-yah』は、私がジャニーズを嫌いになる前の純粋な頃出会った番組だった。
番組内容はほとんど覚えていない。そして現自担である二階堂高嗣氏が出ていたと知るのは何年もあとの話である。
その頃は翔央が大好きで、ノートに翔央と狂ったように書き続けていた記憶は何故か鮮明に残っている。
その後紆余曲折がありHey! Say! JUMPがデビューした時は薮八乙女しかおらず、幼心に傷を負った。
あれ、本題に戻らなかった。()
まあとにかく、これが私とジャニーズの出会いだ。(強引すぎる)
まとめると、『Ya-Ya-yah』が原点というわけだ。あのテレビは面白かった。あまり内容は覚えていないけれど。
②ジャニーズ嫌い
このままでは埒が明かないので次に進める。
ヤーヤーヤーというグループ、番組が好きだったのに、何故ジャニーズが嫌いに…?
自分でもあの頃は馬鹿だったな私もと思えるが、きっと尖っていたのだろう。
キラキラしているジャニーズというアイドルが眩しくて、変な所から見ていたのかもしれない。
私は小中高とピアノと歌をかじっており、音感には自信のある方だ。歌手も生歌のうまい人が好きだった。
なので基本的にエンターテインメントとして「魅せる」パフォーマンスをするアイドルという部類が年々受け付けられなくなっていった。
さらにジャニーズは歌やダンスだけではなく、演技の面でも活躍している方が多い。
中学時代は若手俳優にお熱だったので、若手の芽を潰すジャニーズが目の敵であった。邪魔しないで!とまで思っていた。
そんな尖った中学時代だがそれを引きずったまま高校に入った。
高校に入ると親の縛りも緩くなり、ドラマを頻繁に見るようになった。
そこで衝撃の出会いをするのである。
③この人もジャニーズ??
高校1年の冬(あ、年がばれてしまう)、当時仲の良かった熱狂的な山田担に推され、理想の息子というドラマを見た。
そこで冬なのに真っ黒に日焼けした真っ黒のジャージのイケメンを見つけた。
友達に聞くとこれはKis-My-Ft2というグループの藤ヶ谷太輔という人物だという。
Kis-My-Ft2?ジャニーズ!!!!
ここで今までならポイっとしていたのだが(何を)、その時はすぐに某動画サイトで曲を聞いたり某画像サイトで画像を検索したりとコレクターの血が騒ぎ始めたのだ。
するとキスマイの曲はCMや流し見で見ていた音楽番組などで聴いたことのあるものばかりだった。
それが幸いしたのか、もうそれからはキスマイの虜になっていた。
ビギナーズ!!が始まる頃には藤ヶ谷"ファン"になっていた。(まだ担当というには程遠い、言うなればお茶の間である。)
中学生の頃友達が「ニノだって俳優なんだから!」と熱く語っていたのを軽くあしらった事を深くお詫びしたくなるくらい、ジャニーズのしっかりした演技に目を奪われた。
当時お笑いブームが去ってしまったこと、野球熱が少し冷めていたことなどが相まって、私はジャニーズの底なし沼にズブズブとはまっていくこととなった。
今日のところはここまでにしておきます。読み返すときっと何を話したいのかわからないと思いますが、個人的年表と思っていただければ少しは受け入れられると思いますきっと。